<抱 擁>
あれはいつの事だったろうか?
私の記憶では春先だった。 まだコートを着ていたから・・・。
田舎町のメーン駅近くでの出来事だった。
私の脳裏にはほほえましく焼きついて消えない光景がある。
まだまだ分厚いコートを皆が着ていた。
とある交差点付近で信号待ちをしていた。
私は車に乗っていた。
ふと斜め前に目をやると中年の男の人が驚いた顔をしたのが目に入った。
次の瞬間、中年の女の人がその人の胸に顔を埋めた。
ポケットからハンカチを取り出して顔をおおった。
顔をおおったまま男の人の胸に顔を埋めて泣いている。
男の人は驚いた顔付きのまま、優しく女の人の肩を両手で囲むように
して直立不動になっている。
行き交う人はチラッと見ていく人が殆どだった。
まるで映画のワンシーンのような光景だった。
嫌味な感じは何もなかった。
たった数十秒の目撃であった。
もう6~7年も前の事であろうか?
あんな風に素直に感情表現のできるのが羨ましかった。
私も、もしあんな機会に恵まれたらあんな風に率直にしたいと思っていた。
でも出来なかった。
長年会いたかった人に出会った。
彼の方は懐かしさのあまり私の肩に両手を回しそっと私の肩を囲った。
私が彼の胸に頭を預けたらしまいだったのに、私にはできなかった。
誰も見ている人なんていなかったのに。
私は素直じゃないと思った。
それから度々会う機会があるにも関わらずそんな風にできないでいる。
その度にあの日の光景が鮮明に蘇る。
自立もいいが素直になれない自分がはがゆい。
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